他人への違和感は自分の欠点

昔はよくいろんなことを考えてた。
改善したいとおもうことがたくさんあったから。でも今はあまりいろんなことを考えてない気がする。
それは、今私は「現場」にいないからだと思う。


現場にいると、いろんなことが見えてくる。そして、いろんな「問題意識」がでてくる。そこから、いろんなことを考えるのだと思う。
現場にいないと、問題意識は生まれない。だから、考えるきっかけがない。


もちろん現場にいるだけじゃだめだ。当事者意識がないとまた「問題意識」は生まれない。どうでもいいことについて、人は考えないから。
いわれただけの仕事とか、こなせばいいと思っている人に問題意識は生まれない。
もっといいものにしたい。そんな想いがなければ、どうでもいいことになる。


私は先日ある人に、「世の中を変えたいと言う想いが強く、言うだけではなく、アクションをしているところはすばらしいけど、人を変えようとしているところに違和感を感じる。」
と言ったことがある。他人と過去を変えられないと思っている。
その人は、自分が動いて入るけれど、人もかえようと思っている気がした。
もちろん悪いことではない。が、なんだかエゴを感じたんだ。


人にはそれぞれの想いがある。だから押しつけは良くないと思うんだ。
その人の意思で変わっていくような環境づくりをするのであればわかる。でも、この未来の方がいいと決めつけるのはなんだか違う気がしたんだ。
そしてそれは、自分に対しても言えると思っている。


最近自分がわからない。前からわからなかったけど、今はカオス状態にわからない。
「Take it easy」って心に決めているのに「がんばらなきゃ」って思う自分がいる。
がんばることは悪くない。努力は必要だと思うから。
でも、無理はよくないとも思う。
その反面、無理をしなきゃ成長できないとも思う。


最近は、こんな風に、何かを考えるとすぐに「でも、でも、でも・・・」が続くんだ。物事には両局面あることは理解してるけど、あまりに考えがフラフラしていて、一本筋が通っていない。
きっと自分に自信がないんだろうなー。
今自分の発言する言葉はきっと重みがない気がする。
それは、考え抜いた言葉ではないから。


いろんなことを考えていた頃は、考え抜いたあとの言葉だったから重みがあったしフラフラしていることはなかった気がする。
重みを持つには、やっぱり現場でいろんなことを考えることから始まる気がなんだかしている。