人々にどんな風に覚えてもらいたいのか?

私のとても尊敬し信頼している友人のブログがバズってとても嬉しい。
その記事はこちら。
 →現状を打破しようとする全ての人に捧ぐ。ジョブズ最高のプレゼンテーション


とても本質的な事が書いてあって、いろんなひとに読んでもらいたいと思える記事。


記事の本質とは少しずれるが、この記事のある部分を読んで自分の考えと少しリンクしたことがあった。


"私にとって、マーケティングとは我々の価値をどう伝えるかということだ。<中略>会社としてどんな風に人々に覚えてもらいたいのかを、とてもはっきりとさせておかないといけない。”


この部分を読み、自分が今までしてきたことはそういうことだったのかもしれないと感じた。


私はMashupAwardsという開発コンテストの事務局の仕事をお手伝いしている。昨年で3回お手伝いさせていただいた。
1度目に担当させてもらった際に思ったことが「コミュニティにすべきだ」ということだった。
そして、1度目が終わってからコミュニティ的な動きを徐々にとりいれていった。
そして3回目を終えた昨年、ある人のFacebookのウォールに「MashupAwardsのようなコミュニティは・・・」というコメントを書いている人をみて、ただのコンテストではなく、コミュニティとして認識されている発言をみて喜びを覚えた。


MashupAwardsを「どんな風に人々に覚えてもらいたいか?」という答えがきっと「コミュニティ」という言葉に集約されていたんだなって思った。
 ・ただのコンテストではない
 ・作品がすべてではなくそこから産まれる「なにか」が大切
 ・同じような価値観がもった仲間がいる
 ・仕事場とは違うプライベートで楽しむ場である
  ・・・などなど


そして、もう一つ。
私はあるサービスを任されたことがある。
そのサービスはPCサイトではある程度のシェアをとっている地図サイトだが、モバイルサイトとしては競合よりも1年遅れて3番目に参入したという状況だった。
そこで私が個人的にもっとサービスコンセプトは「実楽主義(地図を使って実用的なサービスもあるけど、地図をつかった楽しいこともするサービス)」というものだった。
先に参入してた会社はみな「実用的地図サービス」ばかりをしていたため、違うイメージが必要だと思ったんだ。あと、自分的にはマイナスをゼロにするサービス(道に迷ったを助ける)だけではなく、マイナスをプラスにする(つまんないを楽しいにする)ことも提供したかったから。
だから、地図クイズ、スタンプラリーなどなど、実用とかかけ離れたサービスを次々と投入していった。


あと、実用的な機能を追加していくとすぐにキャッチアップされたけど、ちょっと実用性とずれた機能を追加してもキャッチアップされなかったって理由もあるけどね。


その結果、キャリアの担当者からある企画の声がかかり、その際に言われた言葉が「御社なら面白い企画にのってくれると思ったので」というものだった。
自分が時間をかけて伝えたいと思っていたことが、言葉ではなくサービスを通して感じてもらえてたことにとても喜びを覚えた。


これもまた、「どんな風に人々に覚えてもらいたいのか?」をやっていた気がした。


何かを育てていく際、「どんな風に人々に覚えてもらいたいのか?」はすごく大切な部分なのだということを、友人のブログを読んであらためて感じたのでした。
そしてそれは育てていきたいと思っている何かの「原点」なのだとも思う。


この部分は揺らいじゃいけないことだと思う。
揺らぐってことは本質的ではないのだと思う。
それは、サービスでもコミュニティでも一緒。


何かをはじめ、やっていくうちに迷うことがある。
その時に振り返り、機動修正するための合言葉でもあると私は思っている。