文章講座を受けて見えた世の中の構図

3回に渡る文章講座を終了した。
最後の課題は「インタビュー」。
私は、自分のインタビュー記事を添削してもらいたくてこの講座をうけたようなものだった。
課題とは少し違うかもしれないけれど、もともと書いていた文章を提出した。


この講座は、Loco編集部(だったかな?)で掲載されるという基準で添削される。
正直、自分のネットの世界の記事とは添削基準は違うから、文章に対する本質的なコメントしか聞いていない。


最後の宿題は、ネットでよく見る文体で提出した。
がっつり直された。先生のいうことは正直全部正しいとは思わないけど、いつもの世界とは違う、文章を添削する人としてのコメントはやはり勉強になった。


「セリフの引用は強調したいことだけ、その人が本当に伝えたい想いのこもった言葉だけにして強調するべき。」というのは仰るとおりだと思った。


私はその人の熱量も伝えたくて、想いの前後の言葉なども引用にしていた。
正直ネットではよく見る形だったので、それを自然と真似ていたように思う。


私は活字嫌いだ。本もほとんど読まない。
だからかもしれないが、だらだらした文章だと全然読む気がしない。
あつい想いがこまった文章や、リズムがないとがんがん飛ばし読みする。
長い引用は流し読みしてしまうが、想いだけの引用は必ず目に留まる。


そして、講座をうけたあと、いろんな文章を見ると、「この人素人だな」というのがわかるようになってきてしまった。(自分がプロ的に書けるということではなく)


インターネットが広がり、誰でも発信できるようになり、素人の文章のほうがあふれるようになった。
想いがある文章はバイラルされる。でもその人達には基礎がない。
でも、書くことが増えると、書く仕事が舞い込んできたりする。
それは、仕事を依頼する人は、文章を見る目がないからだ。
そして、想いもなく、基礎もない文章が量産される。
そんな文章のシェアが膨らみ、綺麗な文章に出会う確率が減る。
そうすると、綺麗な文章を書く人が減るのである。
どんどん世の中の文章の質が落ちていく。


最近思う。私がよく読んでいて、真似していたライターの人って素人だったなと。情報として他になかったから一生懸命読んでたけど。


これって、ハッカソンも一緒なんだよなー。
実は経験のない人に頼む。とりあえずその人はうけ、実績が出来ていく。
実績ができると、次の仕事がくる。質の悪いハッカソンが量産されていく。
量産されると、それ触れる人が増え、それがあたりまえになり、世の中のハッカソンの質が落ちていく。


なんか、そんな偽者ばかりの世界イヤだなー。
文章講座を受けて、そんな世の中の構図を感じたというお話でした。